気になったんだ、与作のことが。
こんにちは。
近藤です。
東京は今週急に秋っぽい陽気になっちゃって、夏1年分を凝縮した3日間くらいが過ぎて秋とか地球もやりよるな?と思っています。
朝起きて部屋の温度が29度だともはや「涼しい」と思う体になってしまった。
さて。
今日は与作について考えてみたいとおもいます。
前回の歌詞を考えるシリーズはこちら
北島三郎さんの代表曲のひとつ「与作」は1978年(昭和53年)3月に日本クラウンから発売。
同年10月に千昌夫バージョンがミノルフォンレコードより発売されました。
千昌夫バージョンがあるとか初めて知った。
七澤公典さんが作詞・作曲をし、1977年頃にNHKの「あなたのメロディー」に応募、その後北島三郎の歌唱で発売され、日本の古典的な風景を表す代表曲になりました。
作詞・作曲をした七澤さんは渡米後にアメリカで挫折を経験、その経験から日本的なものを強く意識して作られたのが「与作」です。
曲に出てくるのは一組の夫婦。
一人はタイトルにもある「与作」、もうひとりは与作の女房です。
二人が住んでいる場所は山間部です。
歌詞に「こだまはかえるよ」「お山が呼んでいる」とありますので、木々が茂る緑豊かな山、ということが想像出来ます。
二人の住まいですが「藁葺き屋根」がある家です。
「星くずが降るよ」のあとに「女房は藁を打つ」とありますので、屋根の藁が経年劣化などで抜けて、星空が見えてしまう状態、竣工してから年月が経った古い建物だということが想像出来るでしょう。
与作と女房は「木を切る」「旗を織る」ことで生計を立てており、「もう日が暮れる」のあと「女房が呼んでいる」とあり、2番では「もう夜が明ける」「お山が呼んでいる」とあるので朝から晩までよく働く、働き者の夫婦です。
2番では女房が藁を打ち付けている「トントントン」のあとに「働きものだよ」とありますので、1番の歌詞と合わせて「与作の女房は気立てがよく働きものであり、その感想を述べているのは夫婦ではない第三者」ということから、他の住人からも夫婦は慕われている、または応援されていることが伺えます。
さて、与作と女房が住んでいる地域についてですが、日本の林業で成り立つ代表的な都市は
大分県日田市 約8万3千
宮崎県日南市 約7万人
長野県木曽郡木曽町 約1万8千
昭和50年~55年頃の人口が上記の通り。
昭和50年頃の林業従事者数が14.6万人、また、作詞者の七澤さんの出身地が群馬県であることから恐らく「群馬県及び長野県のいずれかの山」を想像し作詞されたものだと推察できます。
実際に作詞がされたのであろう昭和50年頃は、長きにわたる高度経済成長時代がゆるやかに終わりを迎え、日本経済は波乱に満ちた時代でした。
昭和49年には第一次石油危機の影響で国内ではオイルショックが起き物価の価格が高騰、大量の失業者を生む結果となりました。
昭和52年からは円相場が急騰し、貿易黒字を叩き出し、諸外国では日本製品に対する輸入規制が行われ、日本への農作物輸出を緩和するよう圧力がかかりつつも、企業収益は大幅に回復しました。
参考:http://www.dynic.co.jp/company/80/chno6/ch06-1.html
与作夫婦の話に戻りますと、与作は木を切り、女房ははたを織り生計を立てているようです。
女房のはたを織り、藁を打つ音であろう「トントントン」
与作の木を切る「ヘイヘイホー」
ヘイヘイホー?
ヘイヘイホーとは一体なんのことなのでしょう。
そんな掛け声で木を切り倒していたのでしょうか。
木が実際に倒れる時の音でしょうか。
そこでヒントになるのが、曲のヴィブラスラップの音(ヘイヘイホーのあとの「ッカーーー」)です。
あの音は与作が木を切り倒している様子を表しているのだと、つい先程まで思っていました。
しかし。
与作が斧などでカンカンと木を切り倒している、などとは歌詞のどこにも出てきません。
与作が実際に使っている道具に関しては一切不明なまま、「働きものである与作は、斧を使い大木を切り倒しているのだ」と強い印象を持っていることと思います。
この「与作はきこりであり、斧で一生懸命を木を切り倒している」という情景は、恐らく明治製菓のカールのCMの影響があるのではないか、と私は考えました。
カールおじさんが登場する初代CM「おらが春」編の登場は1974年。
CMの中でカールおじさんは斧を担いで森の動物達と行進しています。
カールが販売地域を限定してから久しい昨今、関東ではカールのCMを目にすることはなくなってしまいました。
実際にCMが放送されていた1974年から2015年頃まで、多くの日本人の心の中には「きこり = 斧 = カールおじさん」が強く印象付けられているのではないでしょうか。
では実際に、林業の現場ではどのような道具が使われてきたのでしょうか。
私達が実際に林業の現場を想像し、斧を思い浮かべるでしょうか?
答えはNOだと思います。
チェーンソーで勇ましく切り倒す林業従事者の皆さんの姿が、ありありと脳裏に思い浮かぶ方が大多数ではないでしょうか?
そんなチェーンソー。
実際に林業の場で普及したのは1970年前後。普及のきっかけは1954年の洞爺丸台風による倒木処理での導入がきっかけです。
参考:伐倒技術
与作の時代(1978年頃)でも、七澤さんがお生まれになった年(1948年)以降であっても、林業の現場においてはチェーンソーが使われていた、と考えるのが自然かと思います。
そしてヴィブラスラップの音は、実はチェーンソーのスターターロープを引いたあとのなかなか掛からぬエンジン音を表しているのではないでしょうか。
ヘイヘイホーのあとの一度きりのヴィブラスラップの音に、なかなかエンジンの掛からぬ様子が表されていると私は考えました。
また、女房が操る「機織り機」ですが、第三者である他の住人から「働きものの女房」と評判が立っていることから、かなり大掛かりに生産しているもの、と思われます。
そして、機織りで生計を立てる・または与作の収入にブーストを掛けられるほど、となると現代によく見る卓上型の機織り機ではなく、2畳~4.5畳ほどの大きさの大掛かりなものを使っていたと推察できます。
となると、藁葺き屋根の建物は納屋または女房、与作の仕事場であり、本宅は別にある、という結果が導き出され、「そんな大邸宅に住んでいるなら、木を切ってヘイヘイホーって鼻歌のひとつでも歌いたくなるよな」と私は思ったのでありました。
~投げやりに完~