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百三十五年丸ノ内線

昔の思い出から今の話までいろいろ(1日に何回も更新するよ!)。実体験を元にしたコスメ話や脱毛・育毛話など。ニッポンゴムツカシイ

私は私の名前が嫌いだった

物語

私は生みの母からの愛は要らない

と、思ったとき、とても生きるのがラクになりました、という話です(とても長い)。

 

:::

 

私は私の名前が嫌いです。

昭和生まれの中でも古臭い部類に入ると思います。

いわゆるシワシワネーム。

子供の「子」がつきます、と電話口で伝えるとき、心の底から「改名したい」と思います。

私は私の名前がとても嫌いです。

 

嫌いな理由は明白です。

物心が着くかつかないかの頃から、自分の名前が呼ばれる場面は決まって母に怒られる前兆だったからです。

母は却下的に見ても子育てに向いていない人なので、子供に(というよりは自分以外の他人に)何かを伝えるのがとても苦手です。

母が低い声で

「やーすーこー」

というと、それは怒られる前触れです。

ヒステリーのプロローグです。

私は震え上がります。

母は私の名前をヒステリックに叫ぶだけで、自分の怒りがどうして発生しているのか伝えようとします。

幼い私は、何が母を怒らせたのか小さい脳みそで必死に考えなければなりません。

そのうちに、考える事をやめて、泣いて詫びて2時間や3時間、怒鳴られ殴られれば過ぎ去るのだ、と学習するようになります。

その後、3日ほど母の機嫌が悪く、また2時間や3時間怒鳴られ殴られても、嵐が過ぎ去れば何事もない(殴られない)生活がある、と知っています。

 

私は友達に下の名前で呼ばれた事がありませんでした。

幼稚園の頃はあったのかもしれませんが、少なくとも小学校に入る頃には名字で呼ばれていたような気がします。

よくよく思い出してみれば、幼稚園の先生に「やっちゃん」と呼ばれていた気もしますが、遠い昔のことなので定かではありません。

また、子どもたちのコミュニティがすっかり出来上がっている小学校5年生に転校をしたのも、名字+さん付けで呼ばれるひとつの大きな要因だったかもしれません。

 

私は生まれつき体が大きかったので、偉そうに見える、と言われることがよくあります。

おそらく、昔からどこか偉そうに見えるので、あだ名がなかったり下の名前で気安く、親しみを込めて呼びづらかったのかもしれないな、と思います。

あだ名も貰ったことがありません。あったのかもしれませんが、私は私であることが世界のルールから外れているような感覚を持って生きているので、私が私として認識されることにとてつもない恐怖があるのです。

私のことは、そのあたりに転がっているコンビニのビニールの袋か何かだと思ってくれれば、といつも思っていました。

体が大きく、名前なんか呼ばなくても識別できてしまう見た目も嫌いでした。

名字ならば同じ名字を持つ人間が世界には何人もいて、私に向けてその名字を呼んでいるつもりでも、私はその名字グループのなかのひとつでしかない、と妙な安心感を味わう事ができます。

 

私は私であることを自分で許せませんでした。

いえ、許されていませんでした。

私は何のために生きているのか。

答えは明白です。

母を怒らせず気に入ったように振る舞う事だけを求められて育ちました。

母を怒らせず、気に入ったように振る舞い、母の機嫌を取るためだけのイエスマンまたは相槌マシーン、ときに殴りやすいサンドバッグでいることだけを求められたのです。

 

私は母のことを「お母さん」と呼びません。

いつからだったか。

実家を出た頃だったか。

私は母のことは「あなた」と呼ぶようになりました。

便宜上、会話の中で母を指さねばならないとき「私の母」といい、その後は「彼女」と言うことにしています。

「お母さん」などという親しみを込めた呼び方で彼女を呼びたくないのです。

なぜならば親しくないから。

私にとっては憎しみの対象であり、殺したいくらいの相手だったからです。

そして私のなかにある「お母さん」像は、あんな女であるはずがないから。

 

いつも私は心の中に理想の母親を持っていました。

 

小学生のとき、自分の名前に込められた意味を調べましょう、というような宿題が出たことがありました。

母は漢字についての成り立ちをとても丁寧※1に説明してくれましたが、後に祖父に聞いたところ「当時流行ってたから」という単純明快な理由で名付けられていた事を知りました。

※1 母は「世間体」が絡むとしっかりとした母親である、と振る舞おうとします。

ついでに、自分の生い立ちが決して望まれたものではなかったこと、こちらを大人の精神状態を持っているとすっかり勘違いした母が、怒鳴るついでに「あんたさえ居なければ自分はもっと幸せになれた」と言ったことで、私はますます私が存在していることを世界は許していないのだ、という錯覚に陥っていきました。

 

そういったわけで、私は自分の名前に愛着がもてませんでした。

名前を呼ばれるときは、たいていが悪いことの前触れだったからであり、私にとって自分の名前というのは囚人番号のようなものだったからです。

 

大人になり、自分で稼ぎ、母の知らない友達が増えるに連れて、私は下の名前で呼ばれる事が多くなりました。

インターネットを通じて出会った同じ趣味を持つ人とはハンドルネームで呼び合いますが、私の使っているハンドルネームのひとつは本名の「やすこ」といいますので、みんな「やすこちゃん」「やっちゃん」と呼んでくれるようになりました。

最初は呼ばれる事がとても居心地の悪い名前でしたが、4年ほど「やっちゃん」と呼ばれているうちに体に「私の名前はやすこであり、やっちゃん、と親しみを込めて呼んでくれる友達がいる」という幸せな気持ちが心に染み渡るようになりました。

 

10代の終わりから途切れることなく居た恋人に「やっちゃん」「やすこ」と呼ばれてもなんともピンとこなかった自分の持つ囚人番号が、何年間か、友達に呼ばれる事で「私はやすこである」と世界の風景の一部から抜け出せたような気持ちになるのです。

 

十年近くかけて、囚人番号がただの名前になり、今ホッとしています。

好きな人たちが私の名前を呼んでくれる、私も彼や彼女たちの名前を親しみを込めて呼ぶ、その当たり前のことが私は30年近くできませんでした。名前は囚人番号であり、囚人番号を呼ぶときは負の感情があるべきだ、という呪縛にとらわれていたからです。

 

今、様々な「世間一般では」「普通は」「平均的な」というモノの見方が出来る心の尺度を手に入れると、自分の育った環境が「おおよそ幸せな平均的な家庭からは大きく外れているが、取り立てて珍しくもないよくあるネグレクト・連れ子差別・虐待・モラハラ・そして機能不全家族」であった、ということがわかりました。

他人の目を気にしすぎてしまうこと、田舎特有の嫌らしい教育により「血のつながり」や「家柄」や「世間体」を第一に考えてしまうこと。

すべてが私には必要のない心の定規でした。

私に必要のない心の定規をすべて捨て去ったとしても、私は私であり、私自身の価値は何一つ変わらない、と知ったこと。

この数年間で大きく変わった心の有り様です。

 

私は生みの母からの愛は要らない。

もう必死に有りもしないものを求める必要ない。