百三十五年丸ノ内線

昔の思い出から今の話までいろいろ(1日に何回も更新するよ!)。実体験を元にしたコスメ話や脱毛・育毛話など。ニッポンゴムツカシイ

湘南乃風の純恋歌について

何年か前に結婚式ソングとして不動の地位を築いた…んだとおもう「湘南乃風」の「純恋歌」の歌詞がやっぱりわからないので考察してみました。

ただの春の妖精のたわごとです。

どこかに考察ブログがありそう。

 

www.utamap.com

 

歌詞は「うたまっぷ」さんから引用していきたいと思います。

 

純恋歌湘南乃風が2006年に発表した曲で、3月8日に5枚目のシングルとして発売されました。

オリコンチャートでは25連続1位、TOKYO FMを始めとするラジオ局では年間チャート第一位を獲得したそうです。

純恋歌 - Wikipedia

 

ちなみに「じゅんれんか」という言葉だけ聞くと、私はどうしても長渕剛巡恋歌(好きです好きです心からのほう)を思い浮かべてしまいます。

巡恋歌 - Wikipedia

 

閑話休題

 

では早速、色々と今更純恋歌について考えていきたいと思います。

 

まず最初に、私はこの「純恋歌」を「俺」が「連れ」の彼女を寝取った、という内容だと思っていました。

なので「なぜに結婚式で歌われるのか?!」ととても疑問に思ったのです。

しかも、純恋歌の出だしの一発目の

目を閉じれば億千の星

を脳内再生しようとすると

花びらのように散りゆく中で

と再生されます。

それはORANGE RANGEの花だ。

 

さて。

今回じっくりと「パスタ作ったお前と俺と大五郎」のことを考えるにあたり、しっかりねっちょりたっぷり舐め回すように純恋歌の歌詞を読み込みました。

そして、ようやく自分の認識の誤解に気がついたのです。

 

まずAメロの

大親友の彼女の連れ 美味しいパスタ作ったお前

ここ。

私は「俺」の「大親友」の「女性の連れ=彼女」で「お前=大親友の付き合っている女性」だと思っていたのです。

そうしたら、この1行では登場人物が4人も居ました。

わかりにくいので色分けをしてみましょう。

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まず 俺

そして 大親友(おそらく男)

大親友の彼女

彼女の連れ

の4人が登場してきます。

そうです、女性は二人居たのです。

とりあえず、俺とか彼女の連れ、とかわかりにくいので

 

俺 オサム

大親友 ショウヘイ

大親友の彼女 みずき

大親友の彼女の連れ あいさ

 

にしようと思います。

 

私はこのセクションにはオサムとショウヘイとみずきしか登場してこないと思っていました。パスタを作ったのもみずきだとばかり思っていたのですが、実はあいさがパスタ作り名人だったのです。

そして、この曲はおそらく「オサム」の視点で進んでいくもの、として考えると良さそうです。

 

上記のセクション1は出会いですね。

ショウヘイとみずきカップルのところにあいさが遊びにやって来て、そこへオサムが合流し、あいさの作ったパスタやあいさの「たのしいね」という笑顔にオサムが惚れる内容です。

このセクション1がどの程度の時間経過の中で「好きって言い」たくなって「ギュっと抱きしめた」のかは明記されていないためわかりません。

もし、午後にフラっと集まって大貧民とパスタ、帰り道にオサムとあいさの二人で月見と抱擁だったら「人生生き急いでんな?!」ってなりませんか?

私はなります。

また「好きって言いてぇ」のあとに、あいさを見つめる描写はありますが、告白等のプロセスがなく「ギュっと抱きしめた」とありますので、オサムはゴリゴリのオラオラなのだと考える事が出来るでしょう。

 

次。

 

目を閉じれば億千の星 一番光るお前がいる

初めて一途になれたよ 夜空へ響け愛のうた

 

サビの部分です。

このことから、セクション1の出来事は過去のことだった、ということがわかります。

オサムは一人であいさの事を考えているのかもしれません。

「夜空へ響け」とあるので、現在進行系の時刻はおそらく夜なのでしょう。

目を閉じないと星が見えないということは、目を開けている状態では星が見えない=屋内または曇っている、雨が降っている、オサムは今目が見えない状態である、といういずれかの状態が考えられます。

そして「初めて一途になれた」とありますので、それまでのオサムは女性を食っては捨て、食っては捨て、千切っては投げ、千切っては投げ、な百戦錬磨のモテモテボーイだったに違いありません。

 

次。

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セクション2はセクション1から暫く時間が経ったあとのことのようです。

ここで出てくる「お前」とは一体誰のことなのでしょうか?

おそらくはあいさのことだと思います。

2行目からは急にショウヘイの事が出てくるので、お久しぶりすぎて「もしかしたらここに出てくる『お前』もショウヘイのことを言っているのでは?!」と勘違いしてしまいそうですが、恐らく「お前=あいさ=オサムの今カノ」「優しい連れ=ショウヘイ=オサムの大親友」で間違いない、と思います。

セクション1では「連れ」はみずきのことを表していたので少し混乱しますが、気をつけて読み解いていきましょう。

 

“なぁ”変なあだ名で呼ぶなよ 皆バカップルだと思うだろ

 

この純恋歌の中に再度登場したダブルクォーテーションです。

以前のダブルクォーテーションではオサムの心の声を表していましたが、今回はどうでしょうか?

 

ダブルクォーテーションは一般的には「引用」の意味で用いられる事が多いと思いますが、「なにかを明らかにしたかった」場合にも使用される例があることから、3つの可能性を考えてみたいと思います。

 

まず、なにかを引用した、と考える場合。

この歌詞は「オサムの視点で描かれている」ことから「なぁ」という言葉はオサム以外の誰かが発した言葉である、と考えられます。

 

次に、なにかを明らかにしたかった、と考える場合。

単純に小説等でセリフを表すカギ括弧「」の代わりに使った、と考えるのが自然で、カギ括弧の代わりにダブルクォーテーションを使用した場合、「なぁ」と発したのは登場人物の4人のうち誰か、ということを考えなければなりません。

 

次のセンテンスでは「皆バカップルだと思うだろ」とオサムが考えていますので、この“なぁ”はオサムが実際に発した言葉である、と考えるのが自然でしょう。

 

このことから、純恋歌の表記でダブルクォーテーションはその場のノリ適切に使われている記号ではない、ということが分かります。

このように引っ掛けのような部分がありますので、この先も注意深く読み進めて行きましょう。

 

次。

 

でもいつも落ち込んだ時

助けてくれる お前の優しい声

きっとお似合いな二人 共に解り合って 重なり合っても

 

「でも」が何にかかっているのか、最初はわかりませんでしたが、前のセクションの「ヘンなあだ名でオサムを呼ぼうとするおどけたあいさ」と「助けてくれるしっかり者のあいさ」の対比が表現されている、と考える事ができます。 

ここで「純恋歌」の読み解きのコツを少し掴んできた方ならば「ここに出てくるお前とはあいさのことである」とすぐ分かると思います。

掴みきれていないと「ここに出てくるお前とはショウヘイのことである」と誤読をし、横恋慕ソングに加えてゲイソングということにもなるので、少し注意が必要です。

3行目で突然「きっとお似合いな二人」と、三人称視点でオサムとあいさカップルを描く言葉が出てくる部分も要注意です。

この歌詞は「オサムの自分語りである」という点を踏まえると、突然出てきた三人称視点も「オサムとあいさ」のことである、と自然に導く事が出来るでしょう。

 

折り合いがつかない時は 自分勝手に怒鳴りまくって

パチンコ屋逃げ込み 時間つぶして気持ち落ち着かせて

景品の化粧品持って 謝りに行こう

 

カップルでよくあるケンカの描写です。

オサムとあいさがケンカをしたらしき場面ですが、「自分勝手に怒鳴りまくって」いるのは誰でしょうか?

「パチンコ屋逃げ込み(略)景品の化粧品持って(略)」とありますので、恐らく怒鳴りまくるのはオサムで間違いないという回答になります。

また、「(オサムから)謝りに」とあるので、ケンカの原因はオサムにある、と考えるのが自然です。

 

BREAK TIME

さて、ここまで一緒に歌詞を読み解いてきた皆さんの中には気がついている方も多いと思いますが、このオサムの独白で構成された「純恋歌」には「助詞(て、に、を、は)」が少ないように感じるかと思います。純恋歌は日本語特有のニュアンスや前後の文章を入れ替えてもなんとなく意味が伝わる特徴をうまく利用して、短く書かれた歌詞だと考えることができます。また、2006年というとTwitterなどのミニブログがようやく世間に発表された時期になりますので、いかに短いセンテンスで思いを伝えるかということに挑戦したのかもしれません。

私は文字数の制限がないブログなどでは、適切に「て、に、を、は」を使用して、誰が読んでも筆者の気持ちが正確に伝わる文章を書いて行きたい、と感じました。感じただけで実行するとは言ってない!

 

目を閉じれば 大好きな星 あんなに輝いてたのに

今では雲がかすめたまま それが何故かも分からぬまま

 

2番のサビ部分ではオサムとあいさの関係性がセクション1の頃から変化した記述が見受けられます。

1番のサビでは「一番光るお前」とあいさを0~1等星に例えていましたが、今は「雲がかすんでいて、光る星がよく見えないような状態」へと変化しました。

「それが何故かも分からぬまま」とありますので、オサムが感じている「モヤモヤ感」がオサム自身が原因のものなのか、あいさがなにか変化してしまったのかどちらかと推察することが出来ます。

また、2行目に登場する星を隠す「雲」は別の男性の影、またはあいさの仕事や家族のことなど、なにかあいさに問題が起きた、と考えるのが自然なようです。

 

会いに行くよ…

 

この部分からは「オサムとあいさはしばらく会っていなかった」ということが読み取れるかと思います。

 

桜並木照らすおぼろ月 出逢った二人の場所に帰りに一人寄り道

変わらぬ景色 変わったのは俺ら二人 全て見えてたつもり

目に見えないものなのに…

 

セクション3では韻を踏んだ内容になっています。

まず、「桜並木照らすおぼろ月」とありおぼろ月が春の季語を表すことから、セクション3は春の夜の出来事である、と分かります。

「出逢った二人の場所に帰りに一人寄り道」はセンテンスが長いので注意して読み解きましょう。

「場所」とはどこでしょうか?

場所がもし「出逢った」にかかるのであれば、セクション1のパスタを作ることができ、かつ大貧民で遊ぶことのできる空間ということから、恐らくショウヘイかみずきの自宅のことになると考えられますが、場所が「二人の」にかかっている場合は「二人だけの思い出の場所」という答えになります。

また、「帰りに一人寄り道」とはどういう状況でしょうか?

「帰り」とありますので、オサムはどこかから帰宅途中だということが伺えます。

そして「一人寄り道」とあるので、今オサムは一人であり、目的地(場所)はオサムの出発地点と終着地点の道程上にはない、と考えられます。

 

次のセンテンスの「変わらぬ景色」「変わったのは俺ら二人」という対比から、町並みが劇的に変化してしまうほどの長時間ではないが、人間関係に変化が訪れるには十分な時間がセクション1から現在の間にあった、と考えられます。

「目に見えないものなのに…」とはオサムとあいさのそれぞれの心の有り様を表しているのではないでしょうか。

 

馴れ合いを求める俺 新鮮さを求めるお前

お前は俺のために なのに俺は俺のため

 

 さらに次のセクションではオサムとあいさの立ち位置の対比が現れます。

オサムは現状が変化することを好まず、あいさは現状が変化することを好むことが伺えます。

そしてオサムは今まで尽くしてくれたあいさのことを考え、自分はあいさになにかしてやったろうか、と反芻します。

 

春の夜風に打たれ 思い出に殴られ

傷重ねて 気付かされた大事なもの握りしめ

 

ここでようやく季節と現在のおおよその時間が確定しました。

また、セクション1から続くオサムの自分語りは全て「思い出である」ということが分かります。

「傷重ねて 気付かされた大事なもの握りしめ」は残念ながらオサムとあいさにしかわからない部分です。

オサムは思い出の品(ペアリング等)でも握っていたのでしょうか?

「傷重ねて」というのは、自己中心的なオサムが自分自身の言動や行動を振り返って双方の心の傷が計り知れないもの、という表現で「重ねて」を選んだのではないでしょうか。

直前のセクションに「お前は俺のために なのに俺は俺のため」とありますので、傷ついているのは主にあいさであるしオサムがあいさにつけた傷、またはその逆、と考えるのが自然でしょう。

 

今すぐ会いに行くよ 手を繋いで歩こう

絶対離さない その手ヨボヨボになっても

白髪の数喧嘩して しわの分だけの幸せ

二人で感じて生きて行こうぜ

 

 「今すぐ会いに行くよ」以降は、楽観的なオサムの妄想になります。

この歌詞全体に言えることですが、実際にあいさの行動が歌詞の中に示されているのはセクション1の「パスタを作った」と「笑って楽しいね」と言った(言った、とは名言されていませんが、声に発したと考えるのが自然かと思います)部分だけです。

「絶対離さない」という部分は前のセクションの「大事なもの握りしめ」との対になっており、オサムがあいさを一生束縛するという意味が暗に込められているのではないか、と考える事が出来ます。

また、妄想部分ではオサムの楽観的な部分や強引な部分が伺えることから、オサムはいわゆるオラオラ系である、ということを再び読者に印象づけている事も分かります。

これらはセクション1の「大貧民負けてマジ切れ」の部分からも感じ取ることが出来ます。

 

LOVE SONG もう一人じゃ生きてけねえよ

側に居て当たり前と思ってたんだ

LOVE SONG もう悲しませたりしねえよ

空に向け俺は誓ったんだ

 

このセクションでもオサムの妄想は続きます。

あいさがどう思うか、という事は一切出て来ず、セクション2・3の「新鮮さを求める」あいさは受け入れるかどうか明言されません。

「空に向け俺は誓ったんだ」とありますが、「空」があいさのことを表していることを願うばかりです。

 

LOVE SONG ヘタクソな歌で愛を バカな男が愛を歌おう

一生隣で聴いててくれよ

LOVE SONG 何度でも何度でも

 

「ヘタクソな歌」「バカな男」と自虐をするオサムですが、セクション2の「馴れ合いを求める俺」のままのオサムだとすると、あいさから拒絶される気しかしません。

またオサムの自虐に対して「そんなことないよ~」と、誰かが否定してくれることを望んでいるような部分が見え隠れします。

 

LOVE SONG…何でも話そう

LOVE SONG…約束しよう

 

この部分から「何でも話す」「約束する」というオサムの気持ちが伺えますが、なぜかあいさを巻き込んだ 「話そう」「しよう」と同調圧力を感じる記述に違和感を感じます。

「俺も悪いがお前も悪い」といういじめっ子のようなオサムの思考を伺い知れて、私は仄暗い気持ちになりました。

 

目を閉じれば 億千の星 一番光るお前がいる

初めて一途になれたよ 夜空へ響け愛のうた

目を閉じれば 億千の星 一番光るお前が欲しいと

ギュッと抱きしめた夜はもう二度と忘れない 届け愛のうた

 

また「初めて一途になれたよ」とありますので「今までの俺は相当モテていた」または「浮気性である」というオサムの女性関係にだらしのない部分が見え隠れします。

そんな俺を射止めたお前は凄い、と自分を落としてあいさを持ち上げる作戦かもしれません。

女性の皆さんは、そんなことを男性から言われてどう感じるでしょうか?

「知らんがな」の一言でスッと100年の恋心も冷めると思いませんか?

 

そして純恋歌はオサムの妄想のまま終わります。

あいさが逃げ切れることを祈るばかりです。

 

また、結婚式で新郎がこの曲を新婦の顔を見つめて歌ってきたら、新婦は平松愛理部屋とYシャツと私アンサーソングにして迎撃すると良いかと思います。