大人になってから自分でチケットを手配して飛行機に乗る、という旅行の話をしているときに、ふいに思い出したので書いておきます。
★★ちょっとこわい成分が入るので金玉が弱い人はご遠慮ください★★
今から10年近く前、国内でもかなり大きな会社の大規模なシステム入れ替えでお客様の支店へ出向くことになりました。
本来ならば、私はその仕事には携わる必要はなかったのですが、何しろ人手が足りず、また経費もある程度融通が効くとのことで、忙しくない社員は協力するように、という要請があり、出張することとなったのです。
いくつかの候補地がありましたが、京都や大阪などといった観光を兼ねる事ができるところはすでに人が決まっており、なかなか行きにくい場所などがポツポツと残っている程度でした。
その中で、私は名古屋のみを担当しようと思ったのですが、上司に相談すると
「前泊してもいいから、名古屋と長崎の島を回ってくれないか」
という話になりました。
そんなわけで、引っ越しを5日後に控えている身ではありますが、2泊3日の出張に出かけることとなりました。
名古屋入りは前泊することになり、こちらは通常の業務がおわったあと、新幹線で向かいます。
9時開始で終了時間はなんの問題もなければ15時頃で終わるだろう、という見込みでしたが、入れ替えのシステムが複雑だったため、翌日の移動は18時から動き出せる見込みでスケジュールを立ててあります。
名古屋で無事仕事を終えたあと、私は長崎県の島に向かうため、当時は(今も)
「変な名前だな…」
と思っていた南セントレア空港に向かうことになりました。
島へはまず、佐世保に行かねばならず、調度良い飛行機がなかったために一度福岡空港に向かいます。
そこからバスに乗り佐賀駅まで、佐賀から佐世保までは特急を使いました。
17時に機上の人となった私は、20時を回った頃にようやく佐世保駅へ到着しました。
夕飯もまだだな、と思い、ホテルのフロントで食事の出来る場所を聞きましたが、
名を知られている割に発展していない駅前にはスナックがあるだけ、と言われてしまいました。
20代前半の女一人でスナックもな…と思い、結局コンビニで適当なお弁当を買ってコンビニでモソモソと食べました。
翌朝はとても早く、10時には現地に到着していなければなりません。
そうなると、島と佐世保をつなぐバスに乗る必要があります。
バスの待合所には多くの人がおり、観光目的の人が多かったように見えました。
バスに揺られ、キレイな海を眺めながら島と本土をつなぐ橋をこえると、じょじょに人が減っていき、思ったよりも早く目的地付近のバス停に到着することが出来ました。
朝ごはんがまだだったので、地方のスーパーを見学しようと思い、すでに開いていた手近なスーパーでおにぎりを買って、ベンチで食べてから支店へと向かいます。
この支店で私が面倒を見るPCは2台、それぞれを手順通りに進めれば問題はないはずです。
若い男性の社員の方にご挨拶をし、早速仕事にとりかかります。
受付などがある事務所の1台目はスムーズに進み、待ち時間に次の用意をしていると、制服を着た年配の方に
「タバコを吸うんだったらこっちですよ(方言)」
と、小部屋に案内されました。
その小部屋は4畳ほどの大きさで水色のタイルが一面に貼ってあり、排水口などもあります。
最初は物置かと思いましたが、どうやらもともとはお風呂場だったようです。
「もとは寮だったんだけどね」
と、私を案内してくれたその人は灰皿をこちらに回してくれました。
「そう言われてみればお風呂場風だな」
私は「そこに座るとラクだから」とベニヤ板に座りました。
ここは湯船に板を敷いて、塞いだもののようです。
背面の壁にも同じようにベニヤ板が貼り付けてあります。
古いお風呂にありがちな、高い場所に設置してあるアルミサッシの小窓を、ガタガタ言わせながら、社員の方は開けてくださり、少し風が通るようになりました。
窓からは、工場と中庭とすぐ裏の山の濃い緑が目に入ります。
仕事に戻り、今度は場所を変えて2台目にとりかかります。
1台目は事務所のなかでしたか、今回は工場と事務所をつなぐ細い廊下の柱と柱の間という普段ならデッドスペースなのだろうな、という場所にPCがおいてありました。
2時間ほどしてまた待ち時間になると、先ほどの年配の方が
「タバコに行きませんか」
と声を掛けてくださいました。
この支店は男性社員が多いので、気を使ってくださっているのだな、と私はご一緒することにしました。
「ずいぶん遠くからお疲れ様です」
「東京は賑やかでいいでしょう、行ったことがない」
と仰るので
「こちらは目の前がすぐ海で、とても気持ちが良いところですね」
「昨日は名古屋に居たんですよ」
というお話をしました。
名古屋にも行ったことがない、というその方に、特に意味はないのですが名古屋で自分用に買っていたきしめんパイを差し上げる事にしました。
「あそこ(2台目のPCがあるところ)は風通しが悪くて暑いから、待ち時間はこの部屋で涼んでいるといいですよ」
確かに後ろはすぐドアがあり開け放してありますが、大きな機械がすぐ真横にありとても蒸し暑く、私はスーツのジャケットを脱いで仕事をしていました。
奥では薄緑色の作業着を着た人が働いているのが見えます。
お言葉に甘えて、2台目の待ち時間の時には小部屋で小休止を挟み、仕事を進めます。
元お風呂場のこの部屋は廊下より静かなので、仕事の進捗状況などを電話で上司に報告するのにも具合が良かったのです。
2台目はなかなか手強く、作業が進みません。
いろいろと試していると、遠くから
「ウーーーーーーーーー…」
という長いサイレンが聞こえてきました。
よく、消防署や工場などがお昼に流すサイレンに似ています。
時計を見ると16時と少し前、また待ち時間となった私はあの小部屋で休憩することにしました。
小部屋に入ると、誰も居ません。
「今日中に東京に戻るのは無理そうだな…」
私は福岡のホテルの予約をしようと思い、携帯電話を開きました。
「あれ?」
なかなかつながらない携帯サイトを見ると、携帯電話に「圏外」の表示が出ていました。
携帯電話を振ってみても、電波が復活する様子はありません。
午前中に開け放たれた窓から見える景色は、夕日に燃えているようで、工場も山も中庭も真っ赤に近いオレンジに染まっています。
工場の前に置いてあるコンテナからは長く影が伸び、遠くからあの熱くて大きな音を出す機械の音が聞こえてきました。
窓の外に携帯と体を出すようにして、電波を捕まえようと試みましたが、携帯の表示はいつまでたっても「圏外」のままです。
携帯電話の画面に夢中になっていると、背後をとても涼しい風が吹き抜けました。
クーラーの強風のような、冷たい風。
自分が座っていたのは、湯船にベニヤ板で蓋をした段差で、窓などありません。
背面の壁もベニヤ板に覆われています。
「あれ…」
と思う間もなく、全身に鳥肌がたちました。
じっと座っているだけで汗が流れてくるような暑い場所にいたにも関わらず、です。
シャツから出ている二の腕が気持ち悪いほどブツブツになるのを見たと同時に、背面の壁のベニヤが小刻みに揺れ出しました。
カタ…カタ…カタ…
という小さな揺れは、やがてどんどん大きくなり、木が軋むような音に変わります。
壁の中から、何か大きなものがベニヤ板を押しているような…
ギッ…ギッ…
という音に、背後を振り向くこともできず、ただ固まるしかありませんでした。
「アッ…」
私が持っていたタバコが、私の指先を焼きます。
フィルターいっぱいまで灰で長くなったタバコを見て、やっと正気に戻りました。
夢中で部屋を出て、あの蒸し暑い廊下に戻ると、廊下のドアから見える景色は昼間と変りなく、あの小部屋から見たような燃える赤い景色ではありませんでした。
なんだか気持ち悪い、だが目の前の仕事を片付けるのが先だ…。
私はPCのセッティングをしながら、合間に携帯で福岡のホテルの予約と翌朝の飛行機のチケットをとりました。
仕事がようやく終わったのは17時頃。
朝にご挨拶をした若い男性社員のかたに挨拶をしようと、片付けて事務所にいくと、30代後半といった別の男性の社員がいらっしゃいました。
その方に挨拶をして、ふと、せっかく長崎に来たのだからどこかおみやげを買う場所がないかと聞くと、役所を抜けた先の曲がり角に物産館がありますよ、と教えてくださいました。
タバコの休憩を一緒にした年配のかたにもご挨拶をしようと思い、目で探しましたが、事務所のなかにはいらっしゃいません。
目の前の社員の方に尋ねると
「工場の人かな…?」
と思い当たる節がなさそうです。
確かに制服を着ていたのですが、探していただくのも気が引けるので、よろしくお伝え下さい、と支店を後にします。
教えて頂いた道を登り切ると、確かに物産館がありました。
海産物の加工品を買って、バス停に向かい時刻表を見るとまだだいぶ待ち時間があるようです。
私は海が見える場所まで移動しようと、道沿いを歩き出しました。
途中、雑木林を切り開いたような場所にしつらえられた石造りの階段が見え、そこからなら海が見えるかな、と登り始めました。
ですが、途中で石の門柱が立っており、ベニヤ板で打ち付けてありました。
「ああ、これ以上進めない、私有地だったら申し訳ないな」
と、門柱に背を向けて引き返そうとしたとき、ベニヤ板が激しく音を立てました。
ガンガンガンガン!
向こう側から打ち付けているような音。
そんな力で叩いたらベニヤ板など割れてしまいそうです。
怖くなって振り向きもせずに、階段を降り道路に出ると、カーブの向こう側からバスが走ってくるのが見えました。
「え?もうそんな時間?」
腕時計を見ると、バスの時刻表の時間の2分ほど前でした。
バス停で時刻表を確かめた時には、待ち時間は40分ほどあったはずです。
海を見ようと、散策して階段を登った時間を入れても、そんなには経っていない、多く見積もっても10分程度だ、と思いました。
私は走って、バス停へ急ぎ、佐世保行きのバスに乗り込みました。
バスは、あの階段のあった雑木林をあっという間に通り過ぎ、畑や山を縫って進みます。
行きに見た、キレイな海にかかる橋に差し掛かったとき、私の体がグーッと座席に押し付けられるような感覚になりました。
急ブレーキをかけた車に乗っている時のような、ジェットコースターで坂道を上がっているときのような、そんな重力のかかり方。
バスは平坦な道を、ブレーキをかけるまでもなく進んでいます。
押し付けられた背中がジンワリと寒くなり、冷や汗を書いているのがわかりました。
バスに酔ったのだろうか、と考えながら、まばたきをすると一瞬の真っ暗な中にたくさんの人の顔らしきものが見えます。
それが、瞬きごとに私に向かってきます。どんどん近づいているような、増えているような…。
まばたきするごとに、悲しい気持ちになります。
急に体が軽くなりました。
バスが橋を渡りきり、街が広がってきました。
私はなぜだか「助かった」という気持ちになりました。
バスが佐世保の停留所に到着するやいなや、私は町を見るでも駅前を散策するでもなく、すぐに博多行きの電車に飛び乗りました。
この後、何かあった、だとか、原因はなんだったのか、だとかは調べていません。
ただ、長崎に旅行にいくひとがおり、googleアースのストリートビューでそのバス停近辺を見た時にゾっと鳥肌がたちました。
私は二度と、あの島へは行かないでしょう。