百三十五年丸ノ内線

昔の思い出から今の話までいろいろ(1日に何回も更新するよ!)。実体験を元にしたコスメ話や脱毛・育毛話など。ニッポンゴムツカシイ

あの日食べたプリッツの名前を僕はまだ知らない

幼心に「プリッツはポッキーになれなかったかわいそうなお菓子である」と思っていた。

 

幼少期の子どもは皆そうであると私は信じているのだが、子どもはみんなチョコレートが大好きである。

チョコレート中毒患者、またはチョコレート欠乏症、チョコレートジャンキー、チョコレート禁断症状。

子どもはみんなチョコが好き。

私はそう信じている。

だから、「持つところ」だけのプリッツはお菓子としては2流品、3流品だと思っていた。

 

ポッキーは偉大である。

なにせ、チョコレートのお菓子である。

駄菓子屋で普段私が手に取る10円や20円の菓子と違って箱に入っている。

しかも価格は100円を越えている。

高級菓子である。

地域の子供会の夏祭りなどでもらえるお菓子セットにも入っていない、滅多にお目にかかれない。

親を訪ねてきた知らない大人達の手から偶然手に入る、珍味のようなものだった。

 

1本ずつ大切に食べてもよし。

豪勢に2~3本(3本は本当に豪勢で贅沢で滅多にやってはいけないことだ!)まとめて食べてもよし。

箱の中で溶けて、折れて、くっついて。

箱から取り出した時、1本の「持つところ」に対し、塊のような「チョコのところ」が10本も束になってくっついてくると、なんとなく得した気持ちになる。

「これは事故だから仕方がない」

と、なんとなく背徳感に似た気持ちを持ちながら、塊を一気に口に入れて咀嚼する幸せ。

まだ商品に対する温度管理がしっかりしていなかったのであろう昭和の終わり、または平成初期によくあったポッキーの様相である。

 

そして、全ての「美味しいところ」が終わってしまったあとの、銀色の袋の中に取り残された「大量の持つところ」。

私はこの「持つところ」のみになってしまった部分は不良品である、と信じて疑わなかった。

 

ポッキーは歯でチョコを溶かして食べるもの、であるとも思う。

残った部分の唾液でしっとりした、薄ら甘い「棒」は怒られないのであれば捨てたい。

手が汚れないための「持ち手」のお前は、チョコを剥がされたあとは用済みだ、とすら思っていた。

 

プリッツはポッキーになれなかった可哀相なお菓子。

そう思っていた人は、私以外にもたくさんいると信じている。

ナメクジはカタツムリになれなかった可哀想なやつ理論である。

 

だからこそ、ポッキーと同じような箱に入って、スーパーマーケットや駄菓子屋でポッキーと肩を並べて売場に存在しているプリッツを、なぜか許せなかった。

ポッキーになれなかったくせに、と。

 

・ ・ ・ ・ ・

 

あれはいつのことだったろうか。

まだ小学校に上る前だったような気もするし、もう小学生だったような気もする。

そんな曖昧な時期に、私はプリッツを生まれて初めて食べた。

 

プリッツを初めて口にしたのは病院であった。

なぜそんなところに居たのか。

母が入院したので、そのお見舞いだったように思う。

もしかしたら、祖母か祖父の入院だったのかもしれない。

 

なんのきっかけか、手持ち無沙汰な私を見かねてか、それともいつか母が私に言った「食べ物を与えておけばおとなしくしているから」だったのか。

私は幼少期の記憶がひどく曖昧で断片的にしか無いので、覚えているのはプリッツを食べた、という事実と、地域で一番大きな病院の薄暗い地下の長い廊下の先に寒々しい蛍光灯の光に照らされた売店がある、ということだけだ。

つまり、地下1階の売店に続く廊下の途中に、「プリッツと私」があった。

一緒に誰か居たのかもしれない。

普段ヒステリックな母が寝巻きを着て弱々しく私の手を引いて歩いていたのか。

一緒に行ったかもしれない叔母に売店で買ってもらったのか。

過去に何度か、その様子を思い出すことはあっても「廊下・売店プリッツ・私」しか覚えていない。

 

当時手にしたプリッツそのものに対する気持ちは忘れてしまったが、いつも「持ち手」であり「ポッキーになれなかった可哀想な棒」を貰った私は、大して嬉しくなかったような気がする。

けれど長い廊下で1本取り出して、口に含んだ時の甘さは今でもはっきり覚えている。

「持ち手よ!お前はこんなに美味しかったのか!」

と。

 

・ ・ ・ ・ ・

 

 

ジャイアンプリッツなるものがお土産の定番の地位を得て早幾年。

ただの持ち手のくせに、という思いはなかなか消えないし、あの日薄暗い病院の廊下で食べたプリッツが何味だったのか、私はまだわからない。

一瞬で消えてしまった限定味だったのかもしれないし、思い出が美化されているだけのロースト味だったのかもしれない。

何度か買い求めて食べてはみたものの、あの味にはたどり着くことが出来ていない。

これからも私はプリッツのことは「持ち手」であり「ポッキーになれなかった可哀想なやつ」だと思うのだろう。

それでも特売品だとなんとなく買ってしまうのかもしれない。

 

昨日だって、1箱59円のトマト味のプリッツを5箱も買ってしまったばかりだし。

 

 

※ ジャイアンプリッツは信州りんご味が最高だと思う

※ 過去にトマト味プリッツが主食の時期があった

※ 当時私が食べたのは恐らくバタープリッツだったように思う