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百三十五年丸ノ内線

昔の思い出から今の話までいろいろ(1日に何回も更新するよ!)。実体験を元にしたコスメ話や脱毛・育毛話など。ニッポンゴムツカシイ

物欲、性欲、執着、不要なもの。

思い出 物語

私の断り無く、私のものを犯す人が嫌いだ。

 

一口頂戴、と言い放つやいなや、デザートにスプーンを入れてくる不躾な友達が嫌いだ。

見せて、と言い放つやいなや、袋から取り出したばかりのページを繰る前の雑誌を取り上げる友達が嫌いだ。

借りたから、と事後報告でハンドクリームを使う知人が、借りたから、と返しながら私のペンを返す上司が、全員が嫌いだ。

 

そして、消費されたモノが途端に憎くなる。

目に入れたくなくなる。

要らないものだと思う。

 

私の断り無く、私のものを犯す人が嫌いだ。

犯されたものは、すぐに処分する。

捨てたり、そのまま差し出したりする。

 

食べたい気持ちがないときに渡される好物のお菓子も、断る。

 

「物欲がないんだね」

 

そう言われた。

私自身もそう思ってきた。

 

実態は全く違う。

 

私は人にもモノにも、目に見えない愛だとか憎しみだとか他人の気持ちに対してですら酷く貪欲だ。

私は欲張りで、全てのものを自分の手の内においておきたい。

管理しておきたい。

 

だからこそ、私が許可したものを犯されたとき、そのものも人も気持ちも全てが要らなくなる。

私にとっては、不要のものになる。

 

全く同じハンドクリームを買い、今度こそ奪われないように管理する。

奪われたらまた新しいものを買う。

 

「あてつけをするな」

と言われる。

「ケチ」

とも言われる。

 

どちらがケチなんだか。

 

***

 

私の母は、祖父に大切にしていた絵を勝手に処分されたことを40年近く恨み続けている。

祖父が亡くなった今も、恨んでいる。

母の知人に頼み込んで譲って貰ったという絵。

みんなも見て楽しめるように、と居間に飾っていたという絵。

祖父は「居間においておくくらいだから、そんなに大切ではないのだろう」と思っていたのだと思う。

だからこそ、祖父は絵を処分した。

実際には、その絵を褒めちぎった来客に譲ったのだが。

 

母はそのことを昨日のことのように私に言う。

何度も何度も言って聞かせる。

人のものを勝手に他人に譲ったええカッこしいのクソジジイだ、と言い放つ。

 

私は小さい頃から母に色々なものを捨てられてきた。

つい最近まで「母と父が稼いだお金で買ったもの」は「母と父のもの」であり「私は借りているだけ」と思ってきた。

母の意識もそこにあったのだと思う。

お小遣いを貯めて買った本は庭に投げ捨てられた。

生活費に困って「貸して」と言われて貸した3000円は戻ってこなかった。

お気に入りだった洋服も「◯◯ちゃんにあげたから」と母の友人の娘に幾度となくお下がりされていった。

◯◯ちゃんがシミだらけにしている、お気に入りだったピンク色のスカート。

サイズアウトしたわけでもないのに、◯◯ちゃんが気に入ったから、と。

ピンク色のスカートに、◯◯ちゃんがカレーで汚れた手をこすり付ける。

 

◯◯ちゃんなんか死ねばいい、と私は恨んだ。

 

小さな頃から幾度となく読んだ、細かい挿絵が美しい絵本や、動物の写真がたくさん載っている絵本は妹に。

ヨダレだらけの手で触り、破き、クレヨンでラクガキをされた絵本たちを悲しく見た。

 

妹なんか死ねばいい、と私は恨んだ。

 

絵本には大人の手の入ったあともあった。

父の手で、母の手で、妹の名前が記入された私のものだった絵本を、もう絵本など必要としない年齢だった私は悲しく見た。

 

***

 

私は小さい頃から母に色々なものを捨てられてきた。

つい最近まで「母と父が稼いだお金で買ったもの」は「母と父のもの」であり「私は借りているだけ」と思ってきた。

母の意識もそこにあったのだと思う。

 

私が自分で購入した車を実家に預けたとき、母は自分の知人に無料で車を譲った。

「車検を受けたばかりだった、タイヤも履き替えたばかりだった、弁償して欲しい、返金になったはずの保険料も返して欲しい」

私が当たり前のことを告げると

「名義は私でしょ」

と母は言い放った。

保険の割引率の関係だか何か、言い包められて名義を母にしていたのだ。

私の落ち度だと思った。

 

「なんのお礼もしない」

と、母は車を譲り受けた知人の文句を5年にも渡って私に言う。

「それは非常識だね」

と、私も話を合わせる。

どうでも良いことだ。

母と父の領域に自分のものを置いておくのが悪いのだ、と思った。

 

***

 

多くの人は、学校の制服をどうしているのだろう?

 

私の中学の制服や高校の制服は、もちろん無い。

母の知人という顔も知らないオンナノコに譲られたのだ。

 

「あげたから」

と帰省した私に、世間話のついでに、譲ってから何年も経ってから言われる。

「ああ、そう」

どうでも良いことだ。

 

中学や高校の制服がないからなんだというのだ。

将来の旦那様と制服プレイが出来ないだけだ。

どうでもいいことだ。

中学の思い出も、高校の思い出も、どうでもいいことだ。

 

実家に置いてあった中学の卒業アルバムと、高校の卒業アルバムと文集を捨てた。

数少ない賞状も、賞状の対象になった絵も作文も捨てた。

記憶すら、捨てた。

友達の名前も、先生の名前も、何組だったかも、体操着の色も、今ではすっかり思い出せない。

大学を卒業しても連絡を取り合う数少ない友人だけは、しっかり覚えて、あとはすべて忘れた。

 

私の断り無く、私のものを犯す人が嫌いだ。

犯されたモノも思い出もココロもすべて憎いから捨てただけだ。

 

自分で整理するように、と渡された写真たちを、ゴミ袋に入れたとき、気持ちがとてもスッキリした。

 

なぜか母は卒業アルバムや文集たちや、そんな何の価値もなく、母が私の顔も知らない人に譲ってしまうようなモノを、ゴミ袋から拾い上げて、後生大事にしまっている。

 

憎い記憶のある、実家で暮らしたときに手に入れたものは全て要らないから、私は捨てる。

 

「あの絵ねえ、本当は失敗したの。目の所がおかしいでしょう?泣いてるんじゃないよ。失敗したんだよ」

母が茶飲み話のついでに私のものを他人に譲った話をするように、私は母に教えてあげた。

私がこの世に生まれてから初めて市の金賞を獲った絵にまつわるエピソード。

 

母の「嬉しい」という気持ちも、私の「賞状を貰って嬉しい」という記憶も「母が喜んでくれてうれしい」という気持ちも、汚れているから要らないのだ。捨てたのだ。

 

***

 

私は私が大好きだ。

自分の手が好きだ。

手首が好きだ。

いつも目に入る、指先が好きだ。

切りそろえられた爪も、9cmもある中指も、血管や骨が浮き出た手の甲もすべて好きだ。

何者にも犯されない、自分だけの手を、掴んで無理矢理に手を握られたとき、身体すら憎くなって、ああ、私の可哀想な左手は、無くなったのだ。

可哀想な左手は。

 

***

 

私の断り無く、私のものを犯す人が嫌いだ。

 

一口頂戴、と言い放つやいなや、デザートにスプーンを入れてくる不躾なお前が嫌いだ。

見せて、と言い放つやいなや、袋から取り出したばかりのページを繰る前のマンガ本を取り上げるお前が嫌いだ。

借りたから、と事後報告で香水を使うお前が、借りたから、と返しながら私のペンを返すお前が、お前が嫌いだ。

無くなっちゃった、と、勝手に食べたスーパーカップマロン味の容器を捨てるお前が大嫌いだ! 

 

心のそこから、お前が大嫌いだと、世界中の人間に言って回りたいほど、お前が嫌いなのだ!

ああ、お前が、お前が、目の前の、お前が!

私の視界に入ることが許せないのだ。

目に入れたくなくなる。

要らないものだと思う。

 

お前が!本当に!大嫌いなのだ!私は!

 

***

 

彼氏と別れました♡

 

あ、これ美味しいです。

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※ 食べ物の恨み