読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

百三十五年丸ノ内線

昔の思い出から今の話までいろいろ(1日に何回も更新するよ!)。実体験を元にしたコスメ話や脱毛・育毛話など。ニッポンゴムツカシイ

ウチのお父さんがヤバい。

私と私の父は血のつながりがありません。

ですが、なぜか親戚には「マミちゃんはお父さんと顔がそっくりね!」と言われます。

私の母は、お見合いの話が引きも切らずの美人でした。

残念ながら私は顔も知らない実の父に似てしまいましたが。

 

似てしまったはずなのですが、親戚には「(育ての)お父さんと顔がそっくりね!」と言われます。

 

母と父が結婚したのは、私が小学生のときでした。

20代半ばでいきなり小学生の子持ちになる決断をしたお父さん。

幾ら母に惚れていたとはいえ、その決断、結構スゴイと思います。

しかも、父は母と結婚する前からなぜか私の授業参観に来てくれていました。

そこで私は友達のお母さんに「親戚のお兄さんなの?」と聞かれました。

その頃私は母からあのお兄さん(というにはちょっと老け顔)が父になるのだ、とボンヤリと聞かされていましたが、なんと説明したら良いものか「うん…」と曖昧に嘘をつくことしか出来ませんでした。

 

妹が生まれると、妹と父は顔がそっくりになりました。

びっくりするほどオッサン顔の妹。今は可愛くなって良かったなぁ、と思いますが、それに反比例するように「マミちゃんはお父さんに顔がそっくり!」と言われる機会がドーンと増えました。

この発言をしている親戚の人は、母が再婚で、私と父に血のつながりがないことは知っています。

だからこそ「一緒に住んでると顔が似てくるのかしら?」とも付け加えます。

 

イヤです。

父のあからさまなオッサン顔よりも、母の「昔は美人だったんだろうなぁ」のおばちゃん顔になりたい。

妹も父に似ていると言われる頻度が高いのですが、その度に「うげぇ~」という顔をしています。

 

父は母の両親を大切にしています。

ふつう、姉さん女房の両親なんて、どうやって接していいのかわからないはずなのに、小さい妹を連れて足繁く祖父母宅に通っていました。

祖父母は決して良い人、ではありません。

祖母が先日亡くなりましたが、通夜の席で親戚のおばちゃんに「意地が悪い人だったねぇ!」と散々に言われる始末のクソババアです。

わがままも激しかったですし、私は祖母のことは好きではありません。

祖父も、昔は色男と言われていましたが、年々体が動かなくなると大声で怒鳴ったり、頑固に拍車がかかったりで、気難しい人でした。

そんな祖父母、ふつうだったら敬遠してもおかしくないのに、父は祖父が入院すれば様子を見に病院へ通ったり、母が介護に出てしまうと文句も言わず夕飯を用意します。

祖父の容態がいよいよ危ない、となったときは、病院に泊まりがけで様子を見てくれたことも何度もありました。

祖母の病院通いに付き添ったり、本当ならば母方の人間がやるべき行事に手を貸したり、声を荒らげたり怒ったり、不平不満を言うでもなくいつも当たり前のことのようにサラリと助けてくれます。

 

母はこんな父を、頼りない、と思っていたので、数年前は私が帰省するたびに、昔、父が拵えてしまった借金の話を持ち出したりします。

出世しない、だとか、甲斐性がない、だとか、顔があんまりよくない、だとか。

私はそのたびに、言われっぱなしの父を「頼りないなぁ…」と思っていました。

 

私が仕事で追い詰められて、自殺未遂を起こしたとき、夜中だったのに病院まで車を運転してきてくれたそうです。

私は昏睡状態でちっとも覚えていませんが、父は病院から私を背負って車に運び、実家まで連れて帰ってくれました。

しかもかわいそうなことに私が体重70キロを超えていた頃のことだったので、父は腰を痛めてしまいました…。

そのことを恩着せがましく言うはずもなく、感謝の気持ちを伝えるタイミングを逃したままです。

真夜中に救急車を呼んだ当時の恋人は「お父さん、泣いてたよ」とあとで教えてくれました。

「自分のせいだ」と言っていたそうです。

全然、お父さんのせいでもなんでもないのに。

母が泣いていたことよりも、父に涙を流させてしまって、持たなくてもいい罪悪感を持たせてしまったことに私はとても反省しました。

 

他人の子どもを途中から開始したとはいえ成人するまで、そして自分の子どもを立派に育て上げて、同じ会社に長く勤めて、給料が下がっても上がっても文句を言わず、スゴイ人です。

数年後、勤続◯周年、の記念で会社から旅行をプレゼントされるそうなのですが、今から母と「どこに行くか~」などと楽しそうに話しています。

父は長崎に行きたいようですが、母が北海道、と言っているのでおそらく北海道旅行になるでしょう。

でも文句なんて絶対言わないで、母をエスコートして楽しむのだと思います。

父はそういう人です。

 

今年は母方の祖父母の介護、相次いでの入院、亡くなってからの通夜、告別式…と様々な行事が盛りだくさんでした。

父は夜中でも早朝でも文句一つ言わず、当たり前のように色々と手伝ってくれました。

四十九日が開けるまでは、と大好きなゴルフにも出かけていません。

せっかく祖父の喪があけて、ゴルフに行けると思ったら、今度は祖母が亡くなって、またゴルフはお預けです。

母は自分が正しい、と思った事は絶対正しい、という人で、介護をしたいから、と急に仕事をやめてきたときも文句を言わなかったそうです。

母方の祖父が亡くなってすぐに、父の母(私にとっては義理の祖母)もガンが見つかり、入退院を繰り返すようになってしまいました。

ふつうだったら、自分の親を最優先しそうなのに、父は母の両親を大切にしてくれました。ひとりきりになってしまった母方の祖母を心配して、毎日のように泊まりに出かける妻(=母)に文句も言わず、自分も顔を見せて、おばあちゃんが寂しくないようにしてくれました。

もちろん、休日は泊まりではないにしろ、自分の両親のところにも顔を出していましたが、まだ父方の祖母にはとっつぁん(私にとっての義理の祖父)がいるからな、と言って多くの時間を母方の祖父母に割いてくれました。

父方の祖母も大手術をして、悪性の腫瘍が見つかって、それを見たときの父の気持ちを考えると胃がキューっとします。

 

私は、父の人生が母や私に消耗されているだけの気がして、あるとき何気なく「妹が成人したら離婚しちゃえば?」と言ってみました。

すると、心底びっくりした顔をして「その心は…?」と聞き返されてしまいました。

 

母は昔、義母に自分の大切なものを粗末にされて大げんかをし、縁を切っていました。

正月も、盆休みも一切顔を見せずに10年近く。

最初、義母が入院した時は「一切面倒を見ない!」と、宣言していました。

ですが、父があまりにも自分の両親を大切にし、力やお金や時間をたくさん費やしてくれ、一時期は病院や祖父母宅の行き来で我が家のガソリン代が10万を超えても文句も言わずに尽くしてくれたことに感謝して、「出来る限りのことは手伝うから」と態度を軟化させました。

そして、あんなにも「甲斐性なし!」と言っていたはずなのに、「お父さんはスゴイ人だよ…」と結婚25年経って改めて見なおしたそうです。

昔は「お父さんみたいな人とは結婚しちゃだめ」と言っていたのに、いつの間にか「お父さんみたいな人はなかなかいないよ、大当たりだったね!」と自慢するようになりました。

 

恩着せがましくなく、当たり前に血の繋がりのない他人にも優しくするお父さんみたいに、私はなりたいなぁ、と思います。

 

あ、お盆休みに帰るときは日本酒(父好物)とワイン(母好物)を持って帰ります。